阪神淡路大震災の日に思う [自分のこと・思うこと]
今日は1月17日。
多くの人の命を奪った阪神淡路大震災からもう18年がたちました。
毎年この日になると、震災の記憶が蘇ります。
窓から見えていた煙、
1時間ごとに増えていくラジオから聞こえる死者行方不明者の数、
がれきに埋まった仲間を助けるため奔走していた先輩たちを見送るだけで
自分自身は何もできなかった無力感、
余震が続いて眠れなかった17日の夜、
翌日実家に帰るために六甲から西宮まで阪急の線路沿いに歩いたこと、
途中でみたがれきの山と自衛隊、そして「助けてくれ!」の声とやはり何もできなかった自分。
西宮からは阪急電車が動いていて、梅田につくと何事もなかったかのように日常の光景があったこと。
関西空港ではテレビの前で必死で泥水を集める被災者を見て談笑するおじさんたちがいたこと。
命の水がどれだけ貴重だったか、あんたたちにわかるか!とどなりつけたい気持ちを抑えるかわりに
涙が止まらなかったこと。
ライフラインが止まったままの神戸の映像を見るたびに、
神戸から逃げてきた自分を責めて泣いて過ごした実家での日々。
1カ月後神戸に戻って来て、後輩が亡くなったことを知り、
応援団長が亡くなったことを知りました。
そこにいるのがわかっているのに、火の手があがってなすすべもなく泣きながら見送った周囲の人の話。
大切な命が奪われていく瞬間を目の当たりにすることがどれだけ辛かったことか。
そして、亡くなった本人も、どれだけ無念だったことか。
数年後、広島にある後輩の実家に行きお母さんの話を聞きました。
初対面のわたしに、あの子のことを覚えていてくれてありがとうと何度も言ってくれたお母さん。
息子を亡くしたショックと悲しさで何年も泣いて過ごしたこと、
あの子の分も、しっかり生きてねとわたしを逆に励ましてくれたこと。
神戸の街は見事に復興し、震災の面影を残すところは本当に少なくなったけど、
大切な命が奪われたあの日のことは、決して忘れることはないし、忘れてはいけないと毎年思います。
今日は小学校でも防災の授業と授業参観があります。
昨年も聞いているだけでちょっと辛かった震災の授業参観ですが、
今年もやはり行ってきます。
そして、今日は子どもたちとあの日の記憶をわかちあいたいと思っています。
多くの人の命を奪った阪神淡路大震災からもう18年がたちました。
毎年この日になると、震災の記憶が蘇ります。
窓から見えていた煙、
1時間ごとに増えていくラジオから聞こえる死者行方不明者の数、
がれきに埋まった仲間を助けるため奔走していた先輩たちを見送るだけで
自分自身は何もできなかった無力感、
余震が続いて眠れなかった17日の夜、
翌日実家に帰るために六甲から西宮まで阪急の線路沿いに歩いたこと、
途中でみたがれきの山と自衛隊、そして「助けてくれ!」の声とやはり何もできなかった自分。
西宮からは阪急電車が動いていて、梅田につくと何事もなかったかのように日常の光景があったこと。
関西空港ではテレビの前で必死で泥水を集める被災者を見て談笑するおじさんたちがいたこと。
命の水がどれだけ貴重だったか、あんたたちにわかるか!とどなりつけたい気持ちを抑えるかわりに
涙が止まらなかったこと。
ライフラインが止まったままの神戸の映像を見るたびに、
神戸から逃げてきた自分を責めて泣いて過ごした実家での日々。
1カ月後神戸に戻って来て、後輩が亡くなったことを知り、
応援団長が亡くなったことを知りました。
そこにいるのがわかっているのに、火の手があがってなすすべもなく泣きながら見送った周囲の人の話。
大切な命が奪われていく瞬間を目の当たりにすることがどれだけ辛かったことか。
そして、亡くなった本人も、どれだけ無念だったことか。
数年後、広島にある後輩の実家に行きお母さんの話を聞きました。
初対面のわたしに、あの子のことを覚えていてくれてありがとうと何度も言ってくれたお母さん。
息子を亡くしたショックと悲しさで何年も泣いて過ごしたこと、
あの子の分も、しっかり生きてねとわたしを逆に励ましてくれたこと。
神戸の街は見事に復興し、震災の面影を残すところは本当に少なくなったけど、
大切な命が奪われたあの日のことは、決して忘れることはないし、忘れてはいけないと毎年思います。
今日は小学校でも防災の授業と授業参観があります。
昨年も聞いているだけでちょっと辛かった震災の授業参観ですが、
今年もやはり行ってきます。
そして、今日は子どもたちとあの日の記憶をわかちあいたいと思っています。
「何もできなかった」と攻め続けていたのね。余震におびえ、自分の命を生き抜くだけで精一杯だったろうに、そう思うのね。むごい体験だったから、「何かできなかったか」と思いめぐらすのでしょう。でも、よく生きていてくれてありがとうだったな。連絡が取れなかった時の恐怖は、言葉に言い表せないものだったもの。そう、生かされた命なのよね。だから、自分を精一杯生きること、人の役に立つ人間になること、改めて自分と向き合う「とき」にしてください。
そして、子どもたちに、しっかり語り継いでくださいね。
私も、1月17日午前5時46分は、幸運にもわが子が生き延びてくれた時だから絶対忘れられない日だし、東北の大震災の時も、神戸の大震災とAIさんとが連動し、「3.11を忘れない」11行動を毎月市民にアピールして「遠い小樽からもずーっと気にかけている人たちがいるのよ」とメッセージを送り続けています。今、私ができることね。
by naoko (2013-01-17 20:01)
本当に、生きていてよかったと思います。
めそめそしていないで、亡くなった方の分まで、大切に生きよう・・・と改めて思う1月17日です。
子どもたちも毎年少しずつ、地震のことをわかりはじめてきた気がします。これからも子どもたちと一緒に生きることの大切さを考える1月17日にしたいと思っています。
by Ai (2013-01-18 04:29)