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わたしの「やめて」 [自分のこと・思うこと]

先日ご紹介した、自由と平和のための京大有志の会のHPより。
子どもたちにもわかる言葉で書かれたものです。

子どもたちに納得のいく言葉で説明できること、というのは、正しいことだと思う。
子どもたちの納得のいく言葉で説明できないこと、というのは、大人の世界の、何か後ろめたいことだと思う。
わたしの今していることは、自分の子どもたちに、「ママはこんなことしているんだよ!」と胸を張って言えることだろうか。
仕事でも、自分の生活でも、迷ったときにはそう問いかけてみます。

謙虚に自分の言動を振り返られない人間に、成長はないと思うから。


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わたしの「やめて」


くにと くにの けんかを せんそうと いいます

せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」
という だれかの いいわけで はじまります
せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます
せんそうは はじまると だれにも とめられません

せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい
せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます
せんそうは てや あしを ちぎり こころも ひきさきます

わたしの こころは わたしのもの
だれかに あやつられたくない
わたしの いのちは わたしのもの
だれかの どうぐに なりたくない

うみが ひろいのは ひとをころす きちを つくるためじゃない
そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない

げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい

がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない
がっこうで まなぶのは おかねもうけの ためじゃない
がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない

じぶんや みんなの いのちを だいじにして
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい
でも せんそうは それを じゃまするんだ

だから
せんそうを はじめようとする ひとたちに
わたしは おおきなこえで 「やめて」 というんだ

じゆうと へいわの ための きょうだい ゆうしの かい
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