教育コーチング資格の更新 [自分のこと・思うこと]
今日は会社で教育コーチング資格の更新WEB講座を受講していました。
資格の更新は3年おきなので、講座を受講するのも久しぶりです。
久々に最初からコーチングの基本姿勢、傾聴・質問・承認の話を聞くと、
改めて自分が子どもたちに対して傾聴することができていないなぁ反省しました。
傾聴とは、まず相手の話に集中すること。
自分と比較したり、子どもの話以外のことをしながら(わたしの場合はやりかけの家事や気になっている仕事)話を聞いているときには、傾聴していることにはなりません。
「ママ、ちょっときて」「ママ、見ててよ」とわざわざ言われるのは、
何かをしながら片手間に話を聞くのではなく、自分の話に集中してほしいという気持ちの表れだよなぁ。
一日数時間しか一緒にいれないのに、しかも自分に話を聞いて欲しいと言ってくるのはそのうちのわずかな時間なのに、申し訳ないことしていたなぁと反省しきりです。
そして、自分の判断を脇に置く、ということ。
言っていることが正しいかどうかを判断するのではなく、答えは自分自身の心にあることを信じて話を聞き、答えを引き出すのが傾聴なのですが、気づけばついつい自分が正しいと思うことを子どもよりも先に言ってしまう自分がいます。
子ども達が常にわたしに許可を求めてくるのは、わたしが子ども達が自分で判断する機会を奪っているからなのかもしれません。
子どもが自分の力で伸びていく力を信じて待つのは結構忍耐がいることですが、やっぱり子どもの力を誰よりも信じて、見守れる親でありたいと思います。
資格の更新は3年おきなので、講座を受講するのも久しぶりです。
久々に最初からコーチングの基本姿勢、傾聴・質問・承認の話を聞くと、
改めて自分が子どもたちに対して傾聴することができていないなぁ反省しました。
傾聴とは、まず相手の話に集中すること。
自分と比較したり、子どもの話以外のことをしながら(わたしの場合はやりかけの家事や気になっている仕事)話を聞いているときには、傾聴していることにはなりません。
「ママ、ちょっときて」「ママ、見ててよ」とわざわざ言われるのは、
何かをしながら片手間に話を聞くのではなく、自分の話に集中してほしいという気持ちの表れだよなぁ。
一日数時間しか一緒にいれないのに、しかも自分に話を聞いて欲しいと言ってくるのはそのうちのわずかな時間なのに、申し訳ないことしていたなぁと反省しきりです。
そして、自分の判断を脇に置く、ということ。
言っていることが正しいかどうかを判断するのではなく、答えは自分自身の心にあることを信じて話を聞き、答えを引き出すのが傾聴なのですが、気づけばついつい自分が正しいと思うことを子どもよりも先に言ってしまう自分がいます。
子ども達が常にわたしに許可を求めてくるのは、わたしが子ども達が自分で判断する機会を奪っているからなのかもしれません。
子どもが自分の力で伸びていく力を信じて待つのは結構忍耐がいることですが、やっぱり子どもの力を誰よりも信じて、見守れる親でありたいと思います。
いいねえ。気づきを学んでいる。子どもたちのおかげだ。
忙しいママだから、急いで結論を追いがちになるし、失敗させない親の「愛情」が働くけど、そこで失敗も自立に必要なことと、「待つ」自分とのたたかいがあるのよね。
プレゼントしたお菓子をいつも「食べていい?」って聞くのは違和感があったなあ、そういえば。
by naoko (2014-10-31 05:38)
書くのは簡単だけど、実践は難しい。
でも意識があるとないではやはり違うかな。
まずは心に余裕を持って生活せねば。
by Ai (2014-11-02 09:29)